保存情報第7回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 名古屋城外堀の遺構 才本清継/才本設計アトリエ

■発掘者コメント

 私が西区の自宅から丸の内にある事務所に向かう途中に、 伏見通が名古屋城の外堀の土塁と交差するところがある。 毎日何気なく見ていたところであるが、 気がついてみるとずいぶん荒っぽいやり方で土塁を破壊し道路を通している。 5月の新緑の季節は緑が大変美しく、 車を止めてあたりを歩いてみることがある。
 中日新聞社の南から土塁に上がると、 遠目から見た美しさとはまったく反対で、 ごみがあちこちに散乱し荒れ放題である。 ここから東へ進み官庁街のあたりまで来ると、 土塁の上のあちこちにホームレスの住居の青いビニールシートが見られる。 伏見通の西にある愛知県図書館のあたりは、 既存の御園橋 (外堀にかかる橋) を計画的に取り込んでアプローチとし、 土塁と図書館のあいだをコートとしてうまく利用している。 大津橋の付近にある碑を見ると、 昭和初期に、 市役所を今の三の丸の地に築く際、 許可を得て土塁を崩して道路を作ったとある。 このとき以来、 何本かの道路で分断されることになった。
 いずれにしても、 都心の中でこれほど広い恵まれた文化遺産を放置しておくのはもったいないことである。 これらは街に歴史を感じさせ、 緑も豊かで地形も変化があるので、 工夫次第では市民の憩いの場所になるであろう。 何とかしたいものである。
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右:中日新聞社付近の土塁 (向かって右側) は、 深い緑で森林浴もできそうである
左:伏見通のために土塁が切り開かれたところ (石積部分)。 土塁の右側が外堀

所在地:名古屋市中区三の丸周辺

データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 曹洞宗 洪福山清凉寺 鐘楼門 保浦文夫/ヤスウラ設計
■紹介者コメント

 近郷の正法庵、 寺格無い寺を1624〜44年に地元の強い信仰心から曹洞宗清凉寺が建立、 寺格を得た。 美濃路街道と甚目寺津島街道分岐点に位置する、 庶民信仰から生まれた町家なみの奥深い伽藍配置。 街道から4尺幅ほどの敷石で鐘楼門を通し、 樹木に覆われた正面に観音菩薩像が優しく目に入る。
 本堂はこの敷石の中ほど右側にあるが目に止まらない。 鐘楼門は、 本繁垂木でもない社寺建築の木割を応用した一般的な二軒造り、 振れ隅入母屋造りである。 建築物としての評価はともかく、 現在の住環境、 生活空間のスケール感を強く受ける。 歴史的建造物や環境はコミュニティーを構成する人々の歴史と文化の継承の価値判断が保存を意識させる。
 1712年以来、 清洲宿に時報の鐘として時を告げてきた新鋳の鐘は、 いつごろからか鳴らずの鐘となったが、 県下唯一の時鐘として現存している。 鐘の音が地域社会に響きわたる街、 この鐘楼門はその機会をじっと待っているような気配。 美濃路の歴史と文化を現在にうかがうことができる清洲の街 「温故知新」 の実践、 意識を喚起する街づくりの拠点となり得る。  
所在地:愛知県西春日井郡清洲町清洲551
建設年:1914年 (大正3)
所 有:洪福山清凉寺 田島賢洲