2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。
又、写真は今後スキャニングして挿入させていただきます。

歴史的建造物とまちづくり 第2回
名古屋の二つのシンボル/東西の配水搭を再生活用
瀬口哲夫(名古屋市立大学芸術工学部教授)
給水計画と配水搭
 名古屋市には、東西に旧配水搭がある。東のそれは、覚王山の高台にある東山配水搭(313u)で、高さ約37.8mで、1926年(大正15)から1930年(昭和5)までの事業で完成した。一方、西の配水搭は、中村区稲葉地にある稲葉地配水搭で、水槽の高さは29.4mであるが、これは1935年(昭和10)から1941年(昭和16)の給水事業でつくられたものである。前者は計画給水人口100万人に対応するもので、後者は人口150万人に対応しようと、浄水場や配水管とともに計画されたものであった。この二つの配水搭は、その性格から、名古屋のシンボルとして親しまれてきた。
 その後、予測通り名古屋市の人口は増加したが、自然流下式から浄水場のポンプ圧送式に切り替わり、高架の配水搭は不用になった。名古屋市は、機能を変えながら、その二つの施設を維持している。
東山配水搭の再生
 覚王山の高台にある東山配水搭は、上部の水槽(鉄板製)と、それを支える下部の円筒で構成されている。東山配水搭はいつの頃からかツタで覆われるようになり、緑の搭になっている。1973年に配水搭の役目を終え、1979年に災害対策用の応急給水施設として再生された。この時、水槽の上に多角錘の屋根が架けられ、内部には展望スペースが設けられ、年に数回、公開されるようになった。*
東山配水搭の旧状 東山配水搭の現状(貯水タンクに屋根がかけられている)
稲葉地配水搭(1937年より)
 稲葉地配水搭は、東山と異なり平らな地形のところにある。水槽の容量は、当初590uで計画されたが、水需要が急速に高まったために直径33m、水容量4,000uに変更された。そのため、7倍弱に大きくした水槽を、16本の円柱で支える計画に変更され、それが稲葉地配水搭の外観を決定付けた。こうした経緯を経て、建設費15万円で、地下1階、地上5層、高さ約29.4mの鉄筋コンクリート造の稲葉地配水搭が、1937年5月に竣工した。この特異な外観から、稲葉地配水搭は、円形神殿風建物として親しまれた。また、稲葉地配水搭の周囲は、1943年には稲葉地公園として整備され、水道搭があることから「水道公園」とも呼ばれた。
 ところが、数年後の1944年には、大治浄水場が完成し、ポンプ圧による送水が可能となったために、せっかくの配水搭もその役割を終え、倉庫として使われるだけになった。
第二の人生、中村図書館へ(1965年より) 稲葉地排水搭時代(一番上が水槽)
 わずか5〜6年間しか使われなかった稲葉地配水搭は、その後、公園のシンボルとしての役割を果たすだけであったが、20年以上も経った1964年に転機が訪れた。この年に、名古屋市は市政世論調査を行ない、文化施設の中で、図書館の要求(11.2%)が一番多いこと、それも身近なところにほしいということを明らかにした。1965年には、「一区一館図書館計画」が公表され、これを受けて、稲葉地配水搭の用途を正式に廃止し、中村図書館として改装することになった。改装の基本方針は、@外観をできるだけ保つこと、A吹き抜け部分に書庫を集めること、B地震に耐え得ることであった。図を見ればわかるように、厚さ30cmの壁に穴を開け、1階から4階部分に開口部が取られ、閲覧室などに改良された。ただし、窓を多くすると耐震性が減少するために、最小限に抑えられた。また、本は重いために、吹き抜け部分に積層の開架式書庫を配置した。水槽には手がつけられなかった。工事費は当時のお金で4,600万円。図書館面積2,859u、蔵書数6,000冊、384席、職員8名が働く中村図書館が、1965年7月に竣工開館した。中村図書館は、近代建築を活用したユニークなもので、当時話題を集めた。1985年から1989年までの5年間の年平均利用者数は11万人から12万人、年平均利用冊数は31〜33万冊にのぼった。中村図書館は、1989年に名古屋市の都市景観重要建築物に指定されたが、こうした動きは、歴史的建造物の重要性を理解する人が増えたことが裏打ちになっている。
再ぴ使用されなくなる(1991年より) 中村図書館時代
 1972年には、日本建築学会から、稲葉地配水搭は、建築学的に見て貴重であるという通知がある、一方、1980年頃から図書館改築の要望が出されるようになった。こうした中、1985年の市議会で、「中村図書館は近代建築として文化的な価値があり、保存を望む声が強いことから、建築の保存と図書館の改築の両面から慎重に検討したい」と教育委員会は答弁するにいたった。こうして、新しい図書館(1,324u、10万冊収蔵可能)と文化小劇場などが併設される中村公園文化プラザ計画がまとまり、1991年に竣工した。こうして、稲葉地配水搭(旧中村図書館)は、再び図書館としての役目を終えた。
演劇練習場アクテノン 1階平面図 3階平面図
演劇練習場アクテノン 立面図 (配水搭時代はほとんど開口部がなかったが、図書館に改造する時に開けられた) 5階平面図(かつての水槽内部をリハーサル室に転用)
演劇練習館アクテノン(1995年より)
 名古屋市は、文化振興のために、各区に一つずつ演劇練習館を設けることにしたことを受けて、都市景観重要建築物に指定されていた旧中村図書館は、演劇練習館として再生されることになり、名古屋市建築局と河合松永建築事務所が設計を行なった。1995年、演劇練習館アクテノンとして再生された。アクテノンという名称は、稲葉地配水搭時代に円形神殿と模されたことに由来する。演劇練習館再生にともなって、周囲の公園整備が行なわれた。
 機能的な寿命をもって、建築の寿命とする悪しき傾向があるが、稲葉地配水搭はこれを覆す良い例である。社会は使い捨ての風潮を止めるべきだし、建築は、目先の役に立つだけでなく、再生に耐え得る質を持つことが重要であることを、この事例は教えてくれる。
*毎年春分の日、6月第1日曜日(水道週間)、8月1日(水の日)に公開され、公開日には展望台に上れる
●配水搭の資料は、前名古屋市住宅都市局都市景観室の兼氏幸男さんにご提供いただきました。

〈お詫び>本連載初回「港の賑わいづくりに活用された近代建築/蒲郡市」(4月号)で、P7の右段下から3行目“蒲郡市建築住宅課長前田泰成さん”と記述していますが、正しくは'蒲郡市建築住宅次長前田泰成さん”です。お詫びし訂正します。