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■発掘者コメント
私が子どもの頃、 庄内川にかかる三階橋から黒川付近まで、 二筋の水路、 黒川と御用水が並行して流れていた。 その頃この二つの川は、 子どもたちにとって魚捕りや、 泳ぎをする格好の遊び場であった。 その後御用水は、 昭和47年から49年にかけて埋め立てられて、 御用水跡街園となり、 緑の散歩道として整備された。 夫婦橋から猿投橋までの約1.6kmは、 桜並木も美しく、 堀川の上流とは思えない緑豊かな川沿いの景観を形作っている。
御用水は、 名古屋城北側のお壕に清浄な水を確保するため、 尾張藩主二代目光友がつくらせたもので、 寛文3年 (1663年) 名古屋城築城50年後に完成している。 取水口は、 竜泉寺西の庄内川で、 幸心、 瀬古を通り矢田川の下をくぐって上飯田に達し、 名古屋城に通じていた。 私が子どもの頃、 両側の堤はしっかりと切石で築かれ、 底にも石が敷きつめられていた。 この昔通りの御用水が、 歴史的遺構としてなぜ保存されなかったのだろうか。 埋め立てられてしまったことが返す返すも残念である。
黒川は、 明治9年 (1876年)、 御用水に並行して開削され、 潅漑と水運に利用された。
水分け橋付近の庄内川から取水し、 三階橋付近で矢田川の下をくぐり、 辻町にでて南西に流れ、
堀川へとつながっている。
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