保存情報第5回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 名古屋市 東山荘 (旧伊東信一氏別荘) 三浦忠誠/日建設計名古屋

庭園入り口

所在地:名古屋市瑞穂区初日町2-3

棟上:1919年 (大正8) 8月12日

施主:伊東信一
棟梁:安井?太郎、 副棟梁:鈴木源四郎、左官:大岩勝太郎、 日雇頭:祖父江松次郎 (最近発見された棟札より)

■発掘者コメント

 「花見の名残を留めている山崎川近辺に優れた文化財があるのでは」 との林廣伸保存委員会委員長のご示唆で久しぶりに東山荘を訪れた。 この辺りは、 八事山の台地が山崎川に迫り出した形の緑豊かな地区であったが、 年々マンションが増え緑が消えていくなか、 広大な敷地 (3,600坪) の緑は、 手入れがいき届き、 春の小雨の中鮮やかに萌えている。
 東山荘は綿布商伊東信一氏が大正中期に別荘として建てたものだが、 1936年 (昭和11) 名古屋市に遺贈された。 1939年 (昭和14) から4年間は公園として一般開放された後、 市長公舎として使用されていた。 1967年 (昭和42) に修復工事が行なわれ、 1年後に再び一般開放された。 建物は書院、 茶室、 洋室と、 構成も遊び心とゆとりに満ちているが、 換気や採光の工夫などの隠れた建築的工夫、 部材のプロポーションなど、 一切を任されたであろう棟梁の先取の気概が偲ばれる。
 数奇ともいえる運命をたどったこの建物も、 すばらしい管理人により、 荒れ放題であった汚れを洗い落としてもらって、 隅々まで光り輝いている。 伊東家のご子孫が訪れ、 感涙に咽ばれたという。
 市の一部には、 この施設を厄介者扱いにする向きもあるとか。 歴史的には新しい部類といえるが、 名古屋の花形洋風建築と同時代に建てられた先取的日本建築として、 末永く保存されるべきである。 
左:仰西庵

登録有形文化財 (資) 八丁味噌 カクキュー 北野哲明/北野建築計画工房
江戸時代の味噌蔵
事務所内

■紹介者コメント

 三河の国八帖でつくられる味噌だけが、 ご存じ 「八丁味噌」 です。 大豆と塩と水と麹のみからできる味噌で、 現在、 合資会社八丁味噌 (カクキュー八丁味噌) と、 大田商店 (まるや八丁味噌) の2軒だけでつくられています。 八丁味噌は、 豆を蒸し、 発酵させてつくる味噌玉を、 6トン入りの杉の大樽に入れ、 3トンの玉石で封をして、 3年の熟成を経てできる人間の知恵と自然の恵みです。 天下統一を達成した三河武士の持久力と行動力は、 この豆味噌のアミノ酸と保存性にあったといわれます。
 カクキューには、 江戸時代の味噌蔵、 1907年 (明治40) 建築の味噌蔵 (資料館に改装)、 1924年 (大正13) 建築の味噌蔵 (甲子蔵、 現役)、 同時期の井戸とRC架台の水タンク、 1927年 (昭和2) 建築の事務所から、 平成の建築までの工場群が存在します。 このうち、 明治40年の味噌蔵と、 昭和2年の事務所が登録文化財です。
 江戸期と、 明治期の味噌蔵は、 登り梁で構成される特異な構造形式で建築されています。 味噌玉発酵室むろに要請された形状を構造方式で実現したものといえます。 この登り梁構造も、 甲子蔵からは、 木造トラス構造に変わります。 発酵工程の機械化によるものです。
 この不況、 八丁味噌で粘り強く生き抜きましょう。 

所在地:岡崎市八帖町字往還通69

建設年:資料館1907年、 事務所1927年

登録景観:路地蔵通り、 土蔵造りの味噌蔵群と、 教会風の大正ロマンを漂う建物

登録番号:第1回34番