2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。
又、写真は今後スキャニングして挿入させていただきます。

歴史的建造物とまちづくり 第1回
港の賑わいづくりに活用された近代建築/蒲郡市
瀬口哲夫(名古屋市立大学芸術工学部教授)
2つの近代建築の保全とまちづくり
 海の町・蒲郡市の海岸には、昭和前期に建てられた二つの近代建築が移築され、新しい生命を与えられ、市民に愛されるものになっている。ことのきっかけは、近代建築の取り壊しで、これを聞きつけた蒲郡市が貰い受け、港の賑わいづくりに活用することにした。通常、この種の近代建築の保全問題は、「予算がない」「使う計画がない」などむずかしいことが多い。ところが、蒲郡市ではトップの判断もあり、これらの問題を乗り切っている。
マリンセンター 鈴木医院
マリンセンターハウス(移築活用)
 その一つは、蒲郡港竹島埠頭西側緑地(港町)に、1995年12月から半年かけて移築された「マリンセンターハウス」である。この建物は、市内宝町にあった木造平屋建ての鈴木医院を移築活用したものである。診療所を開いていた医師鈴木幸治氏が、1927年(昭和2)に建築し、1982年(昭和57)まで診療所として使用していたが、その後は倉庫になっていた。ところが、1995年に、鈴木克昌市長(当時)が鈴木医院の取り壊しの予定を聞いて、無償で譲り受けることにした。この決断がなければこの建物は取り壊されていたはずである。
 市は、この建物を、竹島周辺整備事業計画の中で使うことにし、アメリカズカップのニッポンチャレンジ艇の蒲郡べ一スキャンプ(1988年以来2000年までの12年間に3回挑戦した)の西隣に用地を確保した。旧鈴木医院はべ−スキャンプのクラブハウスにも使え、蒲郡の港の賑わいを演出するのにふさわしい建物と考えられた。
 移築に当たっては、明治村の指導を受け、外観はそのままとしたが、内部の部屋の仕切りは、大幅に変えた。また、従来の面積は232.2uで狭いので、約300uに拡張し、レストラン(民間の運営)、クラブハウス、アメリカズカップの展示室などが設けられた。港側には、屋外ラウンジとボードウォークがつくられ、海の雰囲気が満喫できるようになっている。移築再建費用は、約9,000万円であった。
 マリンセンターハウスは、1996年7月27日に開館。1997年に6万人、1998年に5万7,400人の利用者があり、港の賑わいづくりに貢献している。
海辺の文学記念館 岡本医院
海辺の文学記念館(再現保全)
 「海辺の文学記念館」は、蒲郡市中央本町にあった岡本医院を再現保全したものである。1910年(明治43)に建築された木造平屋建ての診療所(延床面積150u)が、建て直しのために取り壊されることになった。そこで、これを蒲郡市が譲り受け、まちづくりに活用することにした。この建物は土台のない掘立柱であること、梁なども細いため、柱梁の構造材の使用をあきらめ、実測をした上で、外観の再現保全とし、建具などを再使用することになった。
 再現にあたっては、玄関ホールに料理旅館常盤館大広間で使用されていたシャンデリアを、内部のロビーへの入口には、蒲郡駅跨線橋の鋳物製の階段支柱(明治時代のもの)を使用している。
 海辺の文学記念館は、二つの展示室のほか、ロビー、管理室などが設けられ、内部の間仕切りは変えられている。このほか和室が増設されたが、常盤館の内部写真を使い、その雰囲気を写しものになっている。このほか伊勢湾台風の最高潮位から建物全体を周囲より1mほど嵩上げし、障害者用の斜路が設けられた。このこともあって和室内から、三河湾の竹島がよく見える。建物の延床面積は384.5u。国土庁の1996年度の補助を受けて、6,980万円かけて整備した。
 海辺の文学記念館が移築された場所は、菊池寛、川端康成、志賀直哉、三島由紀夫などの文人が滞在し、作品を残した料理旅館常盤館(1980年廃業)があったところで、これにちなんで、蒲郡ゆかりの文学資料や、常盤館ゆかりの資料が展示されている。蒲郡市が主催している絵手紙の展示も毎年ここで行なわれている。
 1997年(平成9)5月に、蒲郡プリンスホテルの下の竹島海岸グリーンパークの一画にオープン(入場料は無料)したが、年間の利用者は、1998年、1999年とも2万5,000人となっている。
海辺の整備
 蒲郡市では、取り壊し予定の近代建築を上手に保全活用し、まちづくりに活かしている。二つの施設で、年間8万人程度の利用者があるが、人口8万5,000人の都市なので、市民が年間1回施設を利用するという計算になり、市民と海辺をつなぐ格好の施設になっている。蒲郡市では、海辺の環境整備として、マリンセンターハウスのすぐ北側に「生命の海科学館」を1998年9月に新築した。延床面積が3,281uあり、海辺の魅力をいっそう引き出すことが期待されている。
 このように、新しい施設と複数の近代建築を活用することで、地域の魅力が高められることが、蒲郡市では証明された。まちづくりは継続的なものであるので、今後も知恵を絞って、良いまちづくりを進めてほしい。
 なお、この稿をまとめるにあたって、旧知の蒲郡市建築住宅次長前田泰成さんに、資料の提供とご教示をいただいた。感謝いたします。
瀬口哲夫(せぐち・てつお)■1945年大分県生まれ。飯田喜四郎、池辺陽に師事、その後UNCRD、およぴロンドン大学(UCL)で都市・地域計画を学ぷ。コンパクトシティ名古屋、サッポロビール跡地計画で計画提案、半田市源兵衛橋および水門での景観設計指導・その他桑名市や瑞浪市などの中心市街地活性化計画などに参加するなど、都市の問題を、土地利用、景観、居住の面から多面的に捉えた研究を行ない、近代建築を生かしたまちづくりはその一環である。本年1月には鈴木禎次生誕130年の建築展を主催した。著書には「City,Capital&Water』(共著)などがある。