2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

「職人のわざに学ぶ」 第5回

建具職人 後藤長二
建長木工
林廣伸/蒲ム廣伸建築事務所
私が最初に後藤氏に出会ったのは、おそらく上野高校本館(三重県指定文化財:旧三重県立第三中学校)の修理工事での現場であったと思う。職人さんにしてはよくしゃべる人物であったが、彼の場合、後を引かず、あまり耳障りな印象はなかった。そのことよりも印象に残っているのは、この修理工事における建具金物の製作に際しての彼の応接であった。この現場では、復原の手掛かりが痕跡と建設当時(1900年)の仕様書だけという建具の製作があった。この建具や建具金物の製作にあたり、私の提案に対し彼はいろいろな逆提案を出し、長時間論議した記憶がある。必ずしも彼の提案がすべて良かったわけではないが、ものを造ることへの熱意は十分に感じられた。
 残念ながら、私には彼の腕が名匠、名工に属するかどうかまでを判別する眼力はないが、このような、彼のものを造ることに対する態度や、仕事に対する姿勢には印象深いものがあった。
文化財修理との関わり
 後藤氏は、桑名城出入りの指物師を営んだ家系に生まれ、「(資)建長木工」の四代目として、15歳の頃より父後藤長一氏より指導を受ける。20歳頃から実質的に親方として「建長」を仕切る。三重県を中心として、一般住宅をはじめ、社寺、福祉施設、一般ビルの木製建具を手掛ける。
 初めて文化財建造物の建具修復に携わったのは、30年ほど前の「明治村東京駅前派出所」であった。この時、完成後、建物を見た方に自由蝶番の納まりが違うと言われ、工事をやり直したことがあった。それによって、文化財の建具修復のむずかしさ、奥深さを知り、それまではただ造ればよいと思っていた建具のおもしろさを知ったという。
 以来、明治村での「聖ヨハネ教会堂」、「聖ザビエル天主堂」のステンドグラスや十字架の修復をはじめ、「専修寺如来堂」「上野高校本館」「旅籠玉屋」「六華苑」「諸戸邸御成書院」等の数々の文化財修理工事において木製建具を納め、経験を積んできた。
文化財建具修復と一般建具との違い 機械製作の木製建具内法高さは2m
 修復建具と一般建具とでは、まず工法が異なる。修理工事で扱う昔の建具は、外すことを前提にして造られていた。昔は建具が貴重だったこともあって、塗り直しや部分的に修理しては使えるように、部材を簡単に外せるようになっていた。しかし、今の建具は、手間を省き一定の強度を持たせるためにノリを多用し、外しにくい造りになっている。
 文化財の金物類は、現物がないものを復原しなければならず、現在では手に入らないものも多い。後藤氏は、近江などに見学に行ったりもしたが、基本的に金物のことは、痕跡等を見て現場で覚えた。藁座の壺に刀の鍔を入れてあるのを見たこともあった。とくに、専修寺如来堂の修理工事は大変勉強になったそうだ。
 また、仕上げなども現在では使われなくなったものもある。ある工事では、ヤリガンナをかけてある建具があって、同じものをもう一本造るように指示があったが、それまでヤリガンナをかけるところを見たことがなく、「斑鳩の里」まで実物を見に行ったこともあった。
 材料も、文化財の修理においては、良い木材を使えばそれでよいというのではなく、その場所に合った木材を使うのが基本で、その木材、とくに内地材を整えるのがむずかしいと、建具修復におけるむずかしさを語る。
材料と道具 専修寺如来堂(国指定重要文化財)
 「建長」では昔から木材は丸太で購入し、丸太をひいて板を作る。丸太から材料を引く時は充実感があり、とくに杉を引く時が良いそうだ。最近は、丸太は内地材よりも洋材が主になり、洋材も丸太でなく製材したものが入ってくるようになった。洋材は硬くて仕事がしにくいという。
 昔は板も手作業で加工しやすく、質も良かった。手作業で部材を切り出しカンナがけをすると、木があばれるので、複雑な組子や手の込んだ柄を作って矯正していた。それだけに複雑な細工の仕上がりを左右する道具にかける思いが強かった。しかし、今は機械で、あばれのない部材ができ矯正の必要のない建具ができあがる。道具として手カンナやノミはあるけれど、最近の職人さんは刃物を昔ほど真剣に研がないようになった。新築の木製建具の場合、昔ほど、道具がなくては仕事にならないということは少なくなった。
 しかし、職人の腕のよさとは、根気のよさ、他の仕事を見ること、そして刃物をうまく研ぐことにある。手作業で建具を造ると、腕の違いは面取など細かいところに出てくる。
 一般建具では機械で済むことも、文化財の修理では、手作業でなければできない細工もでてくる。手作業は減ったが、やはり刃物を研ぐことが職人の基本だと言う後藤氏に、道具への愛着が感じられた。
建具職人の後継
 こういう仕事は続けていかなければならないと考え、材料は補充している。子どもも今の工事の間に仕事を覚えてくれれば、と望んでいる。田舎の方でも、若い人が会社を辞めて実家の建具屋を継ぐといった話も聞かれる。
 修練をまじめに教える業者が少なくなったが、修練は小僧に出すのが一番。仕事を教えるのではなく、使い走りをさせるなどしながら1年問で刃物を研ぐことを覚えさせ、1年間で機械の使い方を教えれば、現在の若い人は建具職人としてやっていける。しかし、日本建築が減ったので仕事としては一般的にいってむずかしいかもしれない。
木製建具の魅力
 後藤氏は「建具は造るとおもしろいです。自分で試行錯誤して造れるし、手をかけようと思えばいくらでもかけることができる。金属製建具は、みな均一で完成したらやり直しが利かない。木製建具は使う木の材質によって一つひとつ表情の違うものができあがる。強度も建具だけを考えればよく、建築と違って、気に入らなければその部分だけ取り替えればいいし、直すのも容易だ。ただ、木を扱う当の職人たちは、自分の仕事のおもしろさをよく理解していないようなのが残念だ」という。
対談を終えて 後藤氏が仕事の合間に製作した縦横框の鎌柄仕口
 後藤氏は数年前病を得て、現在もリハビリ中である。インタビュー当日はリハビリを張り切りすぎて転倒し、腕を骨折したとのことであった。
 「病とは喧嘩してはいけない」とどこかで聞いたような気がする。ゆっくりと体を癒しながら、後継者、後進の育成に努めて、ものを造る姿 勢を伝授していってもらいたいと思う。