保存情報第3回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 瀬戸永泉教会  三輪邦夫/RE建築設計事務所
大正初期の永泉教会

■発掘者コメント

瀬戸市の中心部を流れる瀬戸川沿いに、 名鉄尾張瀬戸駅から約1km東に行ったところに教会はある。 まわりの家並みに溶け込むように建っている。 木造平屋建ての洋小屋造り、 日本瓦葺き、 外壁は下見板張り、 半円形の欄間付上げ下げ窓。 内部床は板張り、 壁は漆喰塗り、 化粧野地板張りの天井と、 シンプルな建物である。
 当教会の歴史は古く、 1888年 (明治21) 日本基督教名古屋教会信徒43名によって水野村に創設された。 1900年 (明治33) 現在地に現礼拝堂を建てて移転した。 長老のお話によれば、 聖書の講義とともに英語の講習も行なわれたという。 これが瀬戸地方の英語教育のはじまりであろう。 また、 この教会で洗礼を受けた著名人、 知識人も多いと聞く。 瀬戸における西洋文化の発信の場としての役割も担ったことであろう。
ちょうど100年になる永泉教会。 愛知県におけるもっとも古い木造教会の一つである。 建物の外観は建築当時とほとんど変わっていないという。 木造の古い建物が、 都市化とともに壊されていくとき、 瀬戸の歴史の生き証人として残ってほしいものである。 

所在地:瀬戸市杉塚町5番地

建設年:1900年 (明治33)

登録有形文化財 料理旅館 十州楼 谷村 茂/アール・アンド・エス設計工房

■紹介者コメント

住宅街の中にある十州楼は、 名古屋市北区大曽根の西にあり本館のほか離れ、 長生殿 (結婚式場) などを併設した料理旅館である。 前身は 「澤屋」 という、 19世紀前半の小料理屋にさかのぼるが、 どんどん栄え、 伊藤博文もここに親しんだらしい。 「当時は周りに大きな建物がなく、 名古屋城はもとより遠く恵那山や御岳山を含む10の国が望めたところから十州楼という屋号がつけられた。 現在の十州楼は、 その分家として昭和10年から12年にかけて現在地に建てられたものである」 と当旅館の解説に載っているように、 なかなか贅を凝らした料理旅館である。
 2階百畳敷の大広間は壮観で、 かつてはいろいろな国士が気勢を上げていたのではないかと想像させられる。 天井板は屋久杉の厚板を使った剛天井らしく重みを感じさせられた。 床柱は杉の絞り丸太だと思われるが黒光りした立派なものである。 中広間は一転して現代的な軽やかな材料と仕上げをしており、 その対比がおもしろい。
 われわれ保存研究会の年末忘年例会は1階の小座敷で行なわれたのであるが、 会席料理をいただきながらの例会はなかなか乙なものであった。 今後とも何かの機会にはぜひ利用したいものである。 

所在地:名古屋市北区東長田町4-41

建設年:本館 1936年 (昭和11)

     離れ・長生殿  1937年 (昭和12)

登録景観:数寄屋風で建物と庭のバランスを考慮した配置となっている。

登録番号:第15回 490番