2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

「職人のわざに学ぶ」 第4回

宮大工 山田明
大工館・宗徳院鍾楼門
鈴木道夫/泣Xズキ設計事務所
 山田明さんとの出会いは25年以上前になります。「熱海」だからでしょうか、狭い地域にかかわらず木造建築をこよなく愛し、建築技術を文化ととらえてきた姿勢はあまりにも日常的であり、職人を超え、ある意味で芸術家といっても過言ではないと思います。「穏やかな中に確固たる信念の持ち主」そのような印象の山田さんにお話をうかがい、私なりにまとめてみました。
プロフィール
 1939年(昭和14)生まれ。15歳より父親の後継として大工の道に入るかたわら沼津工業高校定時制建築科を卒業し、二級建築士資格を取得する。五重塔の模型(2.5m)を5年かけて1973年(昭和48)に完成。その後600uの鉄骨造の作業所の建設を経て、隣接地に大工館の建設を計画、1998年(平成10)に完成する。現在山田工務店として寺社建築・数寄屋建築はもとより、神輿・山車の製作を手がけ、木造建築の技術・美しさ、そして伝統の継承を日常としている熱海の第一人者である。
大工館の建設について 宮大工 山田 明 氏
 昔、熱海には御用邸・宮家別荘・企業個人別荘をはじめ、他の地域にはない木造建築が存在し、良い仕事が多数あった。よって技術的に寺社建築・数寄屋建築は誰でも手がけられる状況であった。しかしながら、能率と効率を求める今の時代で腕の良い職人が必要されなくなり、やがて消えてゆく。そのような社会状況を憂うだけではなく、今の状況に頼ることなく、自らの技術を伝承するために建設に着手しようと思いたった。建設には10年の構想、3年の工事を経る。聞くところによれば「職業として」ではなく、「人間としての総合性」を求め、家族で考え、自ら造ることで無心になれたそうである。展示室には大工道具・寺院建築模型・組手模型・建築写真などが展示されており、木製螺旋階段手すり・製作家具そしてその空間も楽しめる。たしかにそこにいるだけで心地よい雰囲気を持っている。
 茶室を造るのには昔からの道具を使わなければならないそうである。しかしながらその道具も使わなければ捨てられてゆく。ここに展示されている大工道具の7割は自分のもの、残りは買い求めたもので、その多くはヨーロッパの道具である。「日本は引く、外国は押す」道具であることはよく知られているが、日本の道具は切れ味がよく実用的、ヨーロッパの道具はデザイン的であるそうだ。ヨーロッパは塗装することを前提としているためであろうか。
 作業所と大工館は「一見の価値」があり、勉強になる。
世代を越えて 宗徳院鍾楼門
 住宅建築に話が及んだ。使い捨ての時代を生きてきた世代が住宅を求めるときの条件は、まず住宅設備であり、使いやすさであり、ローコストである。メーカーハウスはその二一ズを経済的な器として、企業として提供し成長している。また住宅とはそのようなものであるとPRし、器に人間が合わせる時代を形成しつつある。今、住宅の使いやすい尺度として、バリアフリー・ユニバーサルデザインを提唱した二世代住宅などの多機能住宅、高耐久住宅を考えるとき、顧客の獲得を営業の中心とし、木造住宅でありながら大工が建設工事の一部でしかない状況を生み出しているメーカーハウスは、はたして真の高耐久住宅を提供できるのであろうかと疑問をもつ。経験の豊かな、木を知りつくしている大工が考えている住宅とは50年以上使用できるもの。そうでなければ家とはいえないという。その意味は、敷居等の木製張りのものはすりへっては使用できず、耐久10年の材料であり、15年でだめになる。今の建築材料は使い捨ての材料であり、使い込まれるものではない。住宅とは2世代、3世代同居だけの住宅ではなく、数世代にわたって暮らす住宅と考えてもらえれば、本来の大工の技術を持った家造りが可能となると山田さんは訴える。
後継者の育成
 技術の伝承は口では伝えられない。実際に仕事をして、はじめて継承できる。図面が描けても空間が想像できないのでは建築の設計はできないのと同じで、建物全体を想像し、部材・仕口を決められなければならないし、木肌を見て使用個所を設定することが必要となる。このセンスと技術を磨くには、ピアノの上達と同じで若い時から始めないと一定以上の技術はなかなか身につかない。現在の教育制度の中では年齢的に技術の伝承はなかなかむずかしい。元来われわれの仕事は地域に根ざしており、宮大工としての仕事はそれほど数多くはなく、神輿・山車の製作も手がけることにより、技術を磨くことを日常とし、楽しんでいる。
大工館内部木製螺旋階段手すり 大工館外観
設計事務所とのかかわり
 昔の施主は職人(大工)を呼んで造る過程から相互に喜びとし、施主と大工は親子の関係にあり、安心して仕事に専念できた。現在の社会状況は仕事の獲得競争となり、建築の仕事を知らないものが仕事を請け負い、下請けとして仕事をさせようとする。職人は良い仕事をしようとする責任と、要領よく仕事をしないと生きていけない意識とのジレンマの中に置かれている状況にある。これは設計事務所も同じではないかと思う。われわれはレストランで言えばオーナーシェフの店であり、その味が顧客一人ひとりの好み(オーダー)により、シェフ自ら決め、調理し、自ら評価も受ける。周辺地域にはない大きな作業所を建築した目的は、寺社建築の仕事をするにはクレーンを必要とし仮組するスペースも必要であったためではあるが、もうひとつ造作家具製作の必要があったためである。設計事務所からの仕事においては和風の場合、とくに造作と一体の材質の家具の要求があったためである。これからの時代、家にこだわりのある建築主があり、こだわりの設計事務所があり、こだわりの大工が存在し、満足の家が建築文化を刻む。
 「建築は住宅に始まり住宅に終わる。」建築とはかく在りたいものである。