2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

劇場・ホールの計画  第5回

舞台技術とデジタル化
児玉 道久
(舞台照明家/且癆綜合舞台取締役)
デジタル化がもっとも早い照明制御
全国に設置されている劇場・ホールが公共、民間合わせて4千館を超えるようになった。従前の施設の多くがストックとして蓄積される一方で、依然として新設が続くことで、  ホール・劇場の中に、舞台機構、照明機構、音響機構等、デジタル技術がより多く導入されている時代である。一方で、古くからの劇場関係者、とりわけ、ある年代の演出家、実演家等よりの誤解によるコンピューターシステム全般への不信感も存在する。今後、さらに急速に進行するであろう劇場内部のデジタル化について、現状の諸問題と今後の展望について触れてみたい。
 劇場の諸機構の中で、いち早くデジタル化されたのは、照明制御システムであった。1980年代前半には国産のデジタル式照明卓が製品化され、1982年にオープンしたシアターアプルには、後に述べるムーブの概念を取り入れた海外製のデジタル式照明卓が日本に初めて導入されている。その後、調光器側にもデジタルが採用され、さまざまなトラブルが瞬時にフィードバックされる方式が一般化してきた。調光卓と調光器を結ぷ信号も、国際的な規格で統一されたデジタル信号DMX512が主流となっている。また、この調光信号については、インサーネットを使用した方向へ踏み出しており、さらに技術革新が急速に進むと思われる。また、照明機構については、コンピューター技術の導入も目覚ましく、実際に劇場・ホールに入る前に、オフラインソフトを使用してデザインデータの入力、シミュレーションを行なうことが可能である。舞台芸術におけるさまざまなデザイナーの中で、照明デザイナーのみが、実際に劇場に入って視覚化しなければ、自らのデザインを提示することが不可能と言われてきたが、現在では、ごく一般的なCAD上で、舞台美術とも連関してレンダリングすることが可能で、事前に演出家に対してデザインを提示することができるようになってきている。また、日本の異なる劇場での再演のためのデータ互換も容易であるが、これについては、国際的な互換性は図られていない。しかし、パソコン上で作動する調光卓ソフトもきわめて廉価で製品化されており、海外のどの地域であっても、前述のDMX512信号で制御される調光器であれば、自らのノートパソコンを持ち込んで調光操作が可能である。
 以上、照明については、さまざまな規格の国際的な統一化が大きな展開を促進してきたが、舞台機構、音響機構においては、これが見られない点でいくっかの課題が残っていると言える。国内での舞台機構のデジタル化は、1985年にオープンした青山劇場にさかのぼる。床機構、吊物機構が初めてデジタル制御されたものである。これの優位性は、床機構、吊物機構を同期させ、同時にもしくは連続して作動することができる点にあった。また、吊物機構の耐荷重の増加、一点吊機構の導入も対応された。舞台機構のデジタル制御は、この後、愛知県芸術劇場、新国立劇場等、オペラハウスタイプの多面型床機構を持つ劇場を主体に発展してきている。複雑な演出や大掛かりな舞台転換のプログラムには、デジタル化された舞台機構制御は不可欠であるが、機構そのもののコストや必要な管理運営技術者のコスト等を鑑みると、しばらくは、かなり特殊な条件の劇場・ホールでのみ展開を続けるものと思われる。また、このデジタルシステムについては、国内においては、それぞれのメーカーが独自で開発を続けており、国際的にも新たな動きは見られていない。
 劇場・ホールでの音響機構に関しては、デジタル化は今後の展開であると言わざるを得ない。音響のデジタル化が他部門に比べて遅れているのは、扱う信号のレベルが微弱なことに加えて、音質というかなり主観的でデリケートな問題がネックになっていた面もある。最近では、デジタル化による信号処理の劣化がほとんどなくなり、メリットである操作面での多様性、保存、再生での優位性に注目されるようになってきている。今後、急速に、劇場・ホールヘ、デジタル音響調整卓が導入されることが予想される。その数はほとんど増加の一途をたどっている。近年、ストックとなっている施設のなかでも、高度経済成長に伴い盛んに建設が行なわれた1960,70年代のものを中心として、広く「改修」の問題が取りざたされている。
 劇場・ホールにおける改修への要請は、@建物や設備の老朽化、A法律整備による既存不適格、B舞台技術の進展、表現形態の多様化、舞台使用者二一ズの高度化、C観客の意識の高まり、アメニティ向上への期待、D当初は想定できなかった利用実態からの必要性(*1)、といった状況から出てくる。そうした状況に対して、新規に施設を建設する形で応えるのではなく、既存の施設を継続使用していく形で対応しようとする点が「改修」の重要な部分である。
照明技術の国際化
 デジタルの諸問題に関連して、現状での日本の照明調光卓システムの特殊性について触れてみたい。1970年代以降、日本の調光システムは、それまでの強電式オートトランス方式からトランジスター技術を使用したSCR方式が採用されるようになった。また、この時期は、公立.<多目的>ホールが全国的に急速に建設を始める時期でもある。その後、約10年の期間を経て、多段式プリセット方式の調光卓は全国の公立ホールを席巻し、日本の照明技術者にとっては、もっとも使い慣れた調光卓機構となる。この後、コンピューター技術が調光卓にも導入され、記憶、再生が容易な調光機構の時代を経て、前述の、デジタル調光機構へと発展してきた。問題は、日本の照明技術者がもっとも使い慣れた多段プリセット方式の調光卓の基本的な概念が<クロスフェード>と呼ばれるものであり、これに対して、国際的には<ムーブフェード>と呼ばれる概念の調光卓が早くから主流であったことにある。端的に説明すれば<クロス>は、場面場面の照明の状態を輪切りにして記憶をして、それをクロスオーバーして再生するシステムであり、調光チャンネル分のフェーダーを必要とし、マニュアル操作が可能である。<ムーブ〉は、それぞれの調光器=照明器材が、上演中にどのように動いていくかを個別に記憶して再生するもので、基本的にフェーダーを必要とせずコストも低い。また、<ムーブ〉はオートトランス方式のデジタル化とも言え、複雑な照明操作に適しているが、国際的潮流とは別に日本においては長期間採用されなかった歴史がある。数年前から、日本の調光卓の一部にも、ムーブの概念がクロスとともに並立採用されているが、照明技術者側の無理解で、正しく使用されていない例も多い。<クロス〉がこれまで優位であった理由は、日本の公立<多目的>ホールにおける催事の特殊性である、劇場に入ってから公演までの準備時間(日数)の極端な短期性が主たる要因であるが、一方で、公立<多目的>ホールゆえに、多少未熟な技術者でも操作可能な調光設備として採用されてきた側面もある。また、日本のメーカーにとって、コスト的に国際競争を強いられなかった点も理由の一つである。今後、ホール・劇場へ導入する照明操作卓の選定については、<ムーブ><クロス〉の分別が必要であると考える。その基準は、優れた舞台芸術を上演するための劇場と、アマチュアを含めた市民が利用するための劇場をはっきり区分化することである。<ムープ>の劇場を増加することは、国内の照明技術者の技術力の国際化を促進すると考える。
デジタル技術の多用を
 冒頭に述べた、ある年代の演出家・実演家等よりのデジタル技術への不信の理由は、<演劇は生身であり、俳優の演技が日々微妙に変化していることに、デジタルな技術では対応できない〉というものである。これは、根本的な誤解である。近年のデジタル技術は、再生能力はもちろんだが、修正能力が格段に高度化している。オペレーターが、自らの操作意志を数値化する技術力を獲得できれば、演技者の微妙な変化にも十分対応できる状況である。また、劇場技術のデジタル化、コンピューター化は、過去に成立した<経験や勘による伝統的な舞台技術>を数値化し伝承するために重要な機会であると考えている。たとえば、歌舞伎における定式幕は、一定の速度で引かれるのではなく最初と最後でスピードを変化して引かれることが伝統であるが、それは、熟練技術者の受け継いだ経験と勘で伝承されてきた。また、照明変化のスピードでは、「ぱっと」とか「ふわっと」とかいった擬態語で表されたものを、先達との共有経験として、その技術を受け継いできた。これらを、数値化し一般化することが、デジタル化の重要なメリットであり、伝統技術の普遍的な継承と、国内の伝統的技術の国際的検証の時代を迎えることになるであろう。
 今後の急速なデジタル技術の進化は、現在予測する範囲を超えて、劇場の中へ入ってくるであろう。デジタル制御されたビデオプロジェクターが、照明のムービングライトのように自在な変化を付加して製品化されている。CG技術としてのモーションキャプチャーの舞台技術化も間近である。これらの革新は、今後の舞台芸術作品の創造に大きく関連し、寄与することであろう。しかし、創造の本質は、技術ではなく、作品そのものが内包する思想であることを見失ってはならない。また、舞台芸術を成立させる一要素が、観客の想像力にあることも重要である。