2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

都市寸景 108
中濃路散策 その3〜岐阜県美濃市
文・写真 岐阜地域会/塚原進
「美濃市」は長良川の中流に位置する古い町である。昔から「美濃和紙」と「うだつの上がる古い町並み」で知られている。この地は、かつて上有知(こうずち)と呼ばれていたが。1911年(明治44)からは美濃町と呼ばれてきた。1600年の関ヶ原の合戦での功により、徳川家康から上有知を拝領した金森長近が・長良川畔の小倉山に城を築き、目の字の町割りによる城下町を完成させた。それまでは近くの大矢田村に紙市が立っていたが、上有知の城下町に紙市を移したことから城下は和紙の集散地として栄えてきた。
@うだつの上がる町並 A小坂家(国指定重要文化財) B旧今井家
「うだつが上がらない」は、昔からよく使われる言葉だが、この「うだつ」が美濃市にはいまも数多く残っている。和紙問屋が多く、火事の多かった江戸時代に板葺石置き屋根の両端に防火壁を設けて隣家からの類焼を防ぐ工夫がとられた。これがいまも残るうだつである。当時いっぱしの店を構えなければうだつを上げることはむずかしかったことから、うだつは富裕商家のステイタスとなっており、その軒飾りの形・装飾性もさまざまである。現在も市の中心部には、木造の古い建物が軒を連ねているが、そのうちうだつの上がる建物が19軒も残っており・全国でも珍しい一年前から文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けている。 小坂家は1770年代に建てられた造り酒屋であり今日まで続いており、地酒「百春」などを造っていろ。面格子が大変に美しい建物であり、屋根は京風の切妻造桟瓦葺「起り屋根」で特異な外観をみせている。 今井家は江戸末期には圧屋を勤めるかたわら、和紙問屋を営んでいた。時代劇に出てきそうな帳場や座敷はどれもしっかりした造りである。最近、映画「郡上一揆」の撮影が行なわれた。また現在では建物が市によって管理されており一般に公開されている。とくに奥座敷の前庭にある水琴窟が有名である。
C関信用金庫美濃支店 D上有知湊灯台 E美濃橋
関信用金庫が美濃市の玄関口にあたるところに新店舗を造るにあたり、うだつの上がる町をアピールするために考えられたアイデアであり、現代建築にうだつを上げた事例である。ちなみに設計は小生。 金森長近は城下を整備するとともに、経済を発展させるため上有知湊を開いた。川湊は水運による物資の集散拠点として機能し、とくに美濃和紙を中心とした商業活動で栄えた。復元されている灯台により往時の状況を偲ぶことができる。 かつて長良川の中流には、美濃橋・小瀬橋・藍川橋などの吊橋が架かっていたが、交通事情の変化により現存するのは美濃橋のみとなってしまった。長良川の景観に調和した美しい吊橋は、人々に親しまれており、ぜひ後世に残したい構築物である。