この文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

中部文化論 第1回

 尾張名古屋文化論

安田文吉

(南山大学人文学部教授)
土地柄を表す名古屋弁
「ずつない」「おいてくれ」「ちょうらかす」「ござる」「こわい」「たわけ」「おつけ」と並べてくると、名古屋弁の羅列のように見えるが、江戸時代には江戸や大坂でも話されていた言葉なのだ。「ずつない」は表記では「づつない」とも書かれ、「気がずつない」(名古屋弁では「気がずつなゃあ」)などと使う。名古屋弁の発音はまことにむつかしく、よく見かける「にゃあ」とか「みゃあ」(たとえば「うみゃあ(美味い)」)などといった猫のような発音は、名古屋弁は絶対しない。発音の表記も、したがってむつかしく、「美味い」は「うまゃあ」と書き、「ま」と「ゃ」をほぼ同時に発音すると正確な名古屋弁となると思う。英語の発音記号「ae」に近い発音。新聞などでは、「にゃあ」とか「みゃあ」などど表記してあり、これが名古屋弁の誤った発音を助長している。
 「ずつない」は「術無し」で「どうにも施す術がない」の意。「おいてくれ」は、「措く(中止する、やめる)」で、名古屋弁では「おいてちょうだゃあも」などと使う。これを知らない人が、お歳暮を持って行ったところ、相手の人に、「まあ、そんなこと、おいてちょうだゃあせ」いわれ、どこにお歳暮を置いたらいいか迷ったという、笑い話のようなこともあったそうだ。「ちょうらかす」は、「からかう、ばかにする、子どもをあやす」の意で、「ちょうらかゃあとったらいかんぜ」などと言う。「ござる」は、「来る、居る」の尊敬語で、「向こうから○○さんがござった(「来た」の意)」「いままでここにござったが(「居た」の意)」などと言う。「こわい」は「堅い」の意で、僕の叔母が京都へ行ったとき、八百屋でタケノコを見つけ、あまりにも美味そうだったので、それを買おうとして、八百屋の大将に「ちょっと、このタケノコこわなゃあ?」と言ったところ、大将日く、「タケノコは恐ろしいことありまへんで」。「たわけ」は言うまでもなく、「馬鹿者(相続や分家などで子どもに平等に土地を分け与えていくと、しまいには土地が極端に小さくなってしまうので、田を分け与える者は愚か者となる)」の意だが、歌舞伎十八番の一つ「鳴神」で、鳴神上人が弟子の白雲坊黒雲坊を叱りつけるときに「この大だわけめ」と二度言う。僕が「たわけ」というと、すぐ名古屋弁だと断定するが、市川団十郎の鳴神上人が言うと、だれも名古屋弁とは思わない。「おつけ」は室町時代の女房言葉「御味御付」で、本膳に付ける味噌仕立ての汁(味噌汁)。僕などは、親から、「おみおつけ」とは、「御御御付」で、「御」が三つもつくたいへん丁寧な言葉だと教えられた。わが家では、味噌汁などと言うと、品のない言い方だと叱られたものだ。これらは、「日本国語大辞典」(小学館刊)にも収録されている、ごく普通の言葉。近松門左衛門の浄瑠璃や元禄の江戸歌舞伎などにも頻繁に使われているのだが、問題はそれらの言葉が、なぜ今、名古屋弁としてしか残っていないかということである。これを考える前にもう少し名古屋弁の特徴を見て見よう。
 まずは、「遊ばせ」言葉。名古屋では、訪ねていった家に入るときなど、「ごまゃあすばせ(御免遊ばせ)」と必ず言う。相手も「よう、おいらゃあすばしたなも(よく、お出で遊ばしたなも)」と答え、さらに「一服どうでござゃあますなも(一服どうでございますか)」と抹茶で一服を勧めるのだ。また、「さま(様)」がつくのも特徴の一つ。親戚の伯父(叔父)・伯母(叔母)は、必ず「おじさま」「おばさま」(棒読みにするのではなく、「じ」「ば」にアクセントをつけてまろやかに、山形に、(⌒のような感じで言う)、兄・姉は「兄さま」「姉さま」(これらも「い」「え」に軽いアクセントを付けてまろやかに、山形に(⌒という感じで言う)、人の名前でも、父は儀定(よしさだ)だから、「'」でアクセントを示すと、「よ'っさま」または「ま」を省略して「よ'っさ」、母はひさ子なので「ひ'ささま」、僕は文吉なので「ぶん'(文)さま」と言われるかというと、ちょっと違って、「ぶん'ちゃま」となる。「さま」と「ちゃま」はどこが違うかというと、可愛いかどうかで決まるそうだ。お寺の和尚さんは「お'っさま」、または、「お」にアクセントを付けて「お'っさん」と言うが、これが「さ」にアクセントを付けて「おっさ'ん」と言うと、「何がおっさ'ん(おじさん)じゃ」と怒鳴られることにもなりかねない。アクセントもまことに重要だ。地名も「なごや'(名古屋)」「かなやま'(金山)」「あつ'た(熱田)」「はたや'(旗屋)町」「しんかわ'(新川)」「おかざき'(岡崎)」「かりや'(刈谷)」「あんじ'ょう(安城)」となり、「な'ごや」「かな'やま」「あ'つた」「し'んかわ」などとは決して言わない。にもかかわらず、テレビやラジオで、ほとんどのアナウンサーが「な'ごや」「かな'やま」「あ'つた」「し'んかわ」と言っている。放送局が、地域文化に、いかに無頓着であるかがよく分かる。じつに困ったことだ。この他、名古屋では、同席する時や、先に座を立つ時などには、「ご無礼します」と言い、「失礼します」とは言わない。また、名乗る時は「○○でございます」ではなくて、「○○でござりまする」、あるいは「○○でござりまするでござりまする」などと、まことに丁寧に言う。これらは武家言葉である。このように見てくると、名古屋弁が、丁寧、上品、まろやかで、おおらかで、優しくて温かみのある言葉であることがよくわかる。このような名古屋弁の特徴は、名古屋弁に限らずその土地の言葉の特徴というものは、その土地の特色、僕はこれを土地柄と言うが、その土地柄を端的に示している。
人が行き交い文化の花咲く
 名古屋(尾張)は、本州のほぼ真ん中に位置し、豊かな木曽・長良・揖斐の、いわゆる木曽三川に囲まれ、その川口に連なる豊かな伊勢湾に隣り合った、生産性の高い濃尾平野があり、さらに木曽の山々は尾張藩領だったので、豊かな山林をももつことになり、地の利の上に、山川野海の幸に恵まれた土地柄ということができる。したがって、名古屋人(尾張人)気質は、おおらかで、優しくて温かみがあり、よそから来た人も温かく迎え入れている。名古屋人はよそ者に対して、冷たいとか、排他的だとか、一部で言われているが、とんでもない誤解だ。和菓子の両口屋、踊りの初代西川鯉三郎、常磐津の初代岸澤式治、人形師の初代玉屋庄兵衛、平曲の荻野検校などは皆、他の土地からやってきて、名古屋に根を下ろして、歴代活躍し続けてきた人々である。
 ただ、名古屋人は、見知らぬ人・初めての人には、人見知りするところがあって、ちょっと恥ずかしがったり、うまく話ができなかったりするので、それが冷たいと誤解されてしまうのだろう。しかし、いったん名古屋人の輪に加われば、終生その縁が続く。万のことに無理をせず、内に秘めた底力は抜群で、いざというときには目覚ましい力を発揮するのもここの土地柄。たとえば、今、無理をしてお金を借りて会社を広げれば大きく儲かるとわかっていても、そのような多額の借金をすることなく、マイ・ぺ一スで商いを、無理せずに自分で返せるだけ借りて商売をする。こうして、少しずつ商売を広げていく、その最たるものがトヨタ自動車で、無借金経営はまさに名古屋人気質にのっとった商いなのだ。
 このような土地柄では、心も豊かさと余裕をもち、自然と文化の花が咲く。「芸処名古屋」と言われるゆえんである。「おけいこごと」と称して、誰もが一芸二芸を楽しむ。生活の余裕が生み出したこの土地の特徴的なあり方だ。尾張名古屋は祭礼文化の宝庫、食文化も多彩、精巧な技能を伝える職人も多い。伝統文化が豊かに現在まで息づいている。闇雲に新しい文化に飛びつくのではないが、よそから来た人を温かく迎え入れ、育んできたように、新しい文化を迎え入れ、これを育ててきた。現在、名古屋にしか残っていない技術や芸能は意外に多いのである。これらについては次回以降にもう少し触れたいと思っている。また、一方で、新しい発想も忘れてはいない。名古屋から世界へ発信された情報や技術だって多いのである。トヨタはもちろん、尾張発だが、ソニー創業者だって尾張人なのである。
地域文化は一つでくくれない
 21世紀は、地域文化の時代であると僕は位置づける。電子計算機の進歩・普及で世界中から情報が輻輳する時代にあって、大切なのは、僕たちがもっている文化。一口に地域文化といっても、世界の中の日本文化、日本の中の中部の文化、中部地方の中の愛知の文化、愛知の中の尾張・三河文化、尾張のなかの名古屋文化などと、どんどん細分化でき、さらにもっと狭い地域ごとに、それぞれ個性豊かな地域文化が生まれ、継承されている。名古屋弁一つをとってみても、前述のような特色があるが、これはさらに微妙に異なっている。名古屋の広小路通りを境に北は上町(これを「かみまち」とか「うえまち」とか言う人がいるが、正しくは「うわまち」)言葉、南は下町言葉、熱田は熱田弁(宮言葉)。尾張弁も名古屋弁の中と言えないこともないが、天白川を越えると知多弁、これも細かくは、東海市、知多市、半田市、南知多町では微妙に異なるし、蟹江町、一宮市、春日井市、犬山市でも皆、微妙に違う。岐阜まで行くともっと違う。地域文化とはこのようなものだ。これらを東京発の文化・ものの考え方でくくって解釈・把握しようとするから、大変な間違いが起こっている。地名のアクセントの間違いがそのよい例だ。
 自分を知って他人を知る。他者の立場を認めるには、まず自分が何たるかを知らねばならない。何でもひとくくりでは相互理解は成り立たない。まずは自分たちの文化をきちんと認知して、自分の位置を確認し、それを世界に発信する、真の国際交流もここから始まると考える。