2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

劇場・ホールの計画  第4回

劇場技術者からみた劇場・ホール建築
児玉 道久
(舞台照明家/且癆綜合舞台取締役)
肥大化した舞台機構を見直す

 日本の劇場・ホール建築については、1970年代から80年代へかけての公共<多目的>ホールの建設ラッシュにつづいて、90年代の公共<専門>ホールのブームが終焉して、民間の商業劇場はさておき、公立文化施設は新たな時代に移行しようとしている。この時代に、ホールを使用するスタッフの立場から、今後の劇場・ホール建築への視点で話しを進めてみたい。連載第1回で清水裕之先生が述べられている日本の劇場・ホールの近年史によれぱ、大都市から次第に市町村レベルにまで公立文化施設としての多目的ホールが誕生していく経緯に、私は舞台技術者として立ち合っている。それは同時に、舞台機構で言えば電動バトンの導入、照明システムの大きな変化、音響機構の確立など変革が行なわれている時代でもある。この当時(1970年代から1980年代)に建設されたホールは、それまでの公会堂と呼ばれたホールに比べて、舞台奥行きが広がった特色がある。また、隣接する市町村間が競い合うかのように客席収容数が拡大したせいで、舞台間口も大きく広がり、プロセニアム間口20m以上のホールが次々と建設された。
 この当時から現在までの多目的ホールは、以前の公会堂タイプに比べて、ロビー、客席の色彩が極めて明るくなった印象が強い。ロビーはともかく、客席の色彩は、舞台で上演される作品に強い影響を与える。通常は、客席壁面の色彩は灰色系かべ一ジュ系が一般的で、それはそのままプロセニアムアーチまで続いていることが多い。舞台芸術の演出は、一面では、観客を舞台上のあるポイントに集中させることである。虚構と知りながら客席に座った観客を、いつの間にか舞台上の出来事に夢中にさせ、時には泣かせたり、大笑いさせたりする。それが演出の仕事であり、舞台の技術者たちは、それぞれのデザイナーの指示に従いながら、演出具体化作業を行なう。例えぱ、照明は、ある場面では観客の視線を主人公に集中させることを担うわけだが、その主人公に集光させているスポットの光でプロセニアムアーチが薄ぼんやり白く浮かび上がってしまっては興ざめである。つまり、舞台芸術上演に限って言えば、客席壁面もプロセニアムアーチも、限りなく黒色に近い方が望ましいわけだが、多目的ホールの立場から明るい色彩が選定されている現状は残念である。もっと個性的な客席空間が出現してもよいのではないだろうか。1997年にオープンした世田谷パプリックシアターの、暗い色彩の客席天井に浮かび上がる青空の印象は強烈である。
 また、この当時に建設された公共ホールの特色としては、後に大いに反省されていくが、肥大化していったサイドフロント投光室の問題がある。60年代までのホールでは、片側9台程度のスポットが収納されただけのサイドフロント投光室が一般的であった。サイドフロント投光室は、国際的には決して一般的なものではなく、むしろ既設されていない劇場もある。それが、公共ホール建設ブームの過程で、片側40台のスポットを保有するサイドフロント室をも生み出し、異様に肥大化して客席上部にはみ出していった。この、きわめてわが国に固有の肥大化したサイドフロント機構は重要なのだろうか。結論から言えば、もっと縮小されてよいし、それに代わる照明機構を充実させれば、サイドフロント機構を持たない劇場があってもよい。それに代わる照明機構とは、シーリングスポット機構であったり、バルコニーライト機構などであったりする。最近になって、異様に張り出したサイドフロント室への建築家側の反省から、なるべく客席側面がスマートに見えるようにサイドフロント機構を設置する例が増えている。しかし、これは技術者の作業環境にとっては危険度が増している。それまで、一つの部屋の中で作業できたものが、鉄骨で遮られただけで、それを踏み外せば客席へ落下する可能性の作業環境が多いからである。また、サイドフロントスポットが、直接客席より見えてしまうのも不都合である。サイドフロント機構を見直す時期がきているように感ずる。
 次に、多目的ホールの問題点として指摘されてきた音響反射板の問題に触れる。多目的ホールゆえに必要である音響反射板は、その一部の収納スペースが舞台中央上部に置かれるため、舞台技術者にとっては、美術バトンおよび照明サスペンションの配置などに関して極めて不評である。言ってしまえば、創作側の舞台技術者がホールを使用するほとんどの機会において使用されることがない音響反射板は、舞台技術者や演劇関係者には、もともと鬼っ子である。近年になって、大型劇場では、舞台後部や舞台下部にその一部を収納する形式も出現したが、ごくまれな例である。この音響反射板については、形状・材質・収納形式など、おおむね1960年代より大きな変化が見られない。つまり技術革新が行なわれていないように思われる。近年になって、専門ホールとしてのコンサートホールの形状・材質などの研究が進められたが、これが音響反射板の革新に生かされないものだろうか。材質の変更によって奥行きの厚みを削減できれば、他の吊物機構が増設可能である。重量が削減できれば、下部にバトンなどを設置して、未使用時に照明、美術仮設バトンとして使用可能である。実際に、劇場管理技術者の努力によって、2枚の天井反射板と側面反射板の下部に仮設バトンを増設し、通常は反射板の裏側に格納している公共ホールの例がある。新たな展開を望みたいが、それを担う主体が見えてこない。
 以上の点からも、私が望む劇場・ホールは、より個性的な建築物であり、より個性的な劇場機構を保持するものである。
劇場の個性を優位に使いこなす
 1983年、名古屋市東区にオープンした名古屋市芸術創造センターは、その点で、私にとって印象的な公共ホールの出現であった。舞台間]15〜18m(可変可能)、奥行き11m、高さ6〜8.6m、客席数640席(2階構造)のこのホールは、当初の計画段階では、舞台および客席の一部が分割使用できる実験的な構造であったが、予算面等の問題で、客席迫り大2基、小1基、客席迫り2基を持っ現状に至ったと聞く。舞台間口より大きく広がった客席形態と余裕のある客席椅子、リノリューム張りの床面(これは、後の改修で板張りに変更されている)などが印象的なホールであった。(財)名古屋市文化振興事業団が管理運営するこのホールは、オープン直後、バレエ・オペラ・演劇等に使用され、多目的公共ホールとしてよりも、より劇場に近い形で使用された。
 しかし、オープン当時、使用者の間では、このホールの個性がすべてクレームとして現れた。ユニークな内部建築構造についても、ロビーから客席へのアプローチが不案内であるとの声も多かった。舞台技術者にとっては、可変できる舞台構造に戸惑ったと同時に、演出家、デザイナーは初めて出会った舞台の見え方に困惑した。このホールの1階客席は、約20度の角度で傾斜している。これは、われわれがこの地域で初めて経験する、すり鉢状の客席であったし、今までになく舞台面がより見渡せるホールであった。照明デザインにとっては、例えば、観客の意識を舞台上の俳優により集中させようとデザインするのだが、上部よりの照明は俳優に投射されると同時に舞台面にももれて投射される。俳優の衣裳や美術セットの色彩によっては、俳優よりも舞台面の一部が明るく見えてしまうのであった。われわれは大いに困惑し、過去の経験値はこのホールでは無効であった。しかし、数年経験すると、われわれはこのホールの個性を優位性として使いこなすことが出来るようになった。このホールの出現で、デザインの可能性が広がったとも言える。また、このホールは、現在でも名古屋市内にある公共ホールのうちトップクラスのホール稼動率でもある。
脱・金太郎飴型公共ホール
 新たなスタイルに対しては、世論は保守的に対応するものである。やみくもな斬新さは望まないが、金太郎飴の輪切りのような公共ホールは避けるべきである。この問題は、国際的な技術水準とかけ離れたわが国の劇場設備の問題ともリンクする。詳しくは次回の「デジタル技術について」の章で触れるが、例えば、今でも日本の公共ホールに主要に納入されている調光卓や照明器材は、国際的技術水準と概念が180度相違していたり、国際的には普遍性をもたない物がある。これに至った理由は、日本の公共ホール建設ブームの仕組みにあるが、何よりも、国際的技術水準に達しない設備を金太郎飴のように作りつづけた責任は大きい。これと同じようなことが建築的にも当てはまる点がないだろうか。海外の劇場の建築的美しさは印象的だ。もっと個性的で、感性豊かな劇場でありたい。