2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。

ロボット好きの日本人 第1回

ロボツト王国日本
末松良一
(名古屋大学大学院工学研究科教授)
ロボットという言葉
 ロボットという言葉の語源は、1920年チェコスロバキアのカレル・チャペックが著した戯曲「R・U・R(ロッサムの万能なロボットたち)」で、チェコ語で奴隷を意味する言葉からである。しかし、現在、ロボットという言葉に対して人々が抱くイメージは、欧米諸国と日本では大きく異なっていると思う。鉄腕アトムとスーパーマン鉄腕アトムとスーパーマンは、共に数々の超能力を備えたSFキャラクターであり、日本と欧米諸国でそれぞれ国民的なヒーローである。誰にでも愛される正義の味方・鉄腕アトムは、手塚治虫が創作したロボットである。しかし、遠い星から地球にやってきた無敵な男・スーパーマンは、宇宙人という設定となっている。欧米諸国では、スーパーマンが人間が造り出したロボットという設定では受け入れられないのである。なぜだろうか。
 欧米では、ロボットが登場するSF映画が数多く作られてきた。「ターミネーター」に代表されるように、SF映画に登場するロボットの多くは、人間を殺戮し、人間社会に反抗し続けている。とくに西欧諸国では、その長い歴史において機械文明への警戒、人間とロボットとの共存への危惧などを受け継いでいると言える。
九代目玉屋庄兵衛作「茶運び人形」
日本人のロボットのルーツ からくり人形
 一方、日本人のロボットのルーツは、からくり人形である。その代表といえる茶運び人形は、江戸中期に出現したといわれ、その末期には、井原西鶴の小説や小林一茶の俳句にも登場し、広く庶民が親しみを抱く存在として知られていた。
 茶運び人形は、すべて木製で、当時は鯨のヒゲ(セミクジラの歯)をゼンマイとして用い、主人がお客にお茶を出すという自然な振る舞いの中で、主人が人形の持つ茶台の上に茶わんを置けば、まっすぐお客の所へ移動し、お客が茶わんを取れば立ち止まって待ち、お客が茶を飲んで茶わんを置けば、Uターンして主人の所へ戻ってくるという匠の技が結集したロボットである。移動中は、摺り足を動かし、頭を上下に振りながら進む。また、主人がお客との距離を目測し、あらかじめUターンする位置を設定できる機構まで備えている。茶運び人形は、機構面で優れているだけでなく、人間主体であり、その存在が座を興し、主人とお客のコミュニケーションを深めるという機能面での特長を持っている。
 茶運び人形が現代に蘇ることができたのは、細川半蔵頼直が1796年に出版した首巻・上巻・下巻の「機巧図彙」によるところが大きい。「機巧図彙」は、4種類の和時計と9種類のからくり人形の製作を正確な図とともに解説した、世界的にも珍しい機械工学の原書というべき書物である。左ペ一ジ上の図は、私が現代語に訳した上巻弄物(もてあそびもの)の部の最初のぺ−ジである。
からくり師は先端総合科学者 1796年出版「機巧図彙」の現代語版
 著名な江戸からくり師を3人あげるとすれば「機巧図彙」を著し、寛政の改暦にも携わった細川半蔵頼直、久留米出身でからくり人形の最高傑作「弓曳き童子」や「万年時計」の製作者で後に東芝の創始者ともなった、からくり儀右衛門こと田中久重、からくり人形だけでなく数学・医学にも通じた加賀の大野弁吉であろう。
 彼ら3人に共通していえることは、鎖国中にもかかわらず、長崎から入る西洋の最先端科学を貪欲に吸収し、数学・天文学・化学・医学などにも精通した総合科学者であったことである。さらに、西洋の物まねではなく、日本独自の民俗風土に適した製品を造り出したことである。
 彼らに代表される日本のからくり文化が、明治開国以後の工業近代化に貢献した事実は疑う余地がない。
西欧のオートマタとの違い
 日本のからくり人形に対比するものとして、ヨーロッパ諸国を中心として18世紀初頭から盛んになったオートマタ(自動人形)がある。オルゴールの美しい音色に合わせて着飾った人形がさまざまな仕種をして人々を楽しませる。文字や絵を書くもの、オルガンを弾くもの、アクロバチックな動きをするものなどさまざまである。
 しかし、西欧のオートマタと日本のからくり人形には、本質的な違いがある。単に、金属材料を用い、ボルトナットを多用したオートマタと木工細工の粋を凝らし、ネジを嫌ったからくり人形という機構面での違いだけでなく、その製作目的自体や見る人間への表現方法が大いに異なっていると思うのである。
 オートマタの目的は、人間そっくりの動作をいかに機械で忠実に実現するかにあるように見える。たとえば、オートマタの初期の傑作であるジャケ・ドルツ父子の「文字を書く少年」や「オルガンを弾く少女」では、少年はインキ壷にペン先を入れ、インキが滴らないようにペンを振り、ペンを走らせて上手に文字を書くし、オルガンを弾く少女は、聴衆を見渡し、呼吸を整えてから、楽譜に視線を落とし、10本の指で実際に鍵盤を叩いて曲を奏でる。製作者は、機械がここまで人間に近づいた証として、オートマタを世に送りだしたのではなかろうか。日本のからくり人形にはこのような製作意図は見当たらない。
 もう一つの相違点は、人形の感情などの表現方法である。西欧のオートマタは、顔の表情を示すのに、目や口を動かすのものが多いのに対し、日本のからくり人形では、頭を微妙に動かし、光の陰影によって、人形の表情を伝えようとしている。
 右の写真は、有名なオートマタ「魅惑の蛇使い」とからくり人形の最高峰「弓曳き童子」の部分写真である。「魅惑の蛇使い」では、蛇をたくみに操り、目をゆっくり閉じて陶酔の表情を見せ、蛇が横たわる胸元が波打つ。なんともセクシーである。
 一方、「弓曳き童子」は、矢台の上にある5本の矢を1本ずつ右手でとって、弓にセットし、2メートルほど離れた的に狙いを定めて矢を放つ。矢が的に当たれば、喜びながら次の矢を取りに行くが、矢が的に当たらなければ、今度こそという表情で次の矢を取りに行くという座敷からくりである。6本の糸が首と頭の動きを微妙に変え、その傾きと陰影によって観客に人形の感情を伝えているのである。からくり師は、人形の顔をその傾きと陰影によって喜怒哀楽が表現できるように仕上げるのである。もう少し説明を加えておきたい。矢が的に当たれば喜び、外れれば真顔になるという仕掛けはこうである。人形は、矢が当たっても外れても同じ動作をする。矢が当たった時と外れた時では、観客の心理状態が大きく異なることを利用している。小さな的に当たれば、観客は喝采して人形の顔を見るし、矢が外れれば、次は頑張れよという心理状態で人形を見る。「弓曳き童子」だけでなく、山車からくりを含めて多くのからくり人形の演技は、観客の心理状態も含めての演出がなされている。
オートマタとからくり人形の表情開発中のダックスロボの形状モデル
末松良一(すえまつ・よしかず)
1943年名古屋市生まれ。名古屋大学大学院工学研究科博士課程修了後、名古屋大学工学部助手、講師、助教授を経て、1988年名古屋大学工学部機械学科教授、1994年同大学院工学研究科電子機械工学専攻教授、現在に至る。1986年第3回永井科学技術財団賞受賞。
著書に図解メカトロニクス入門シリーズ[制御用マイコン入門』、[機械制御入門』などがある。