2003年までの文章は雑誌からスキャニングして作成しておりますので、誤字がありましたら申し訳ありません。
又、写真、図表は今後スキャニングして挿入させていただきます。

環境ビジネス 第6回

雨水利用(水資源)の必要性
水野一夫           臼井章二
(環境プロデューサー)      (臼井利用と緑化を進める会)
 今日、われわれ日本人の生活は物質的には何ら支障なく恵まれている。近代文明のもとであるエネルギーや食糧もぜいたくに調達され、限りなき日々を過ごしているかのようにみえる。しかし、この快適な生活がきわめて弱い側面を持っていることを思い知らされるときがある。
水資源の確保が急務
 1999年9月に開催された国連居住人間会議の環境計画では、「今後深刻になると見られる環境問題は何か」を検討した結果、第一に地球温暖化であり、次いで水資源不足、砂漠化、水源汚染の順であった。21世紀初頭には発展途上国の都市を中心に、深刻な水不足が発生、石油紛争より水資源での紛争が世界的に発生すると警告している。
 最近は日本でも水不足はひんぱんに発生しているが、アフリカや中近東方面の乾燥地域ではさらにひどく、水が枯渇して砂漠化が進行し、生活が不能になり、町や村が消滅するというきわめて深刻な状況が進んでいる。
 水を確保する技術はいろいろあるが、たとえば、逆浸透膜を使って海水を分離し真水を作る装置や、地下深く井戸を掘り、強力なポンプで水を汲み上げ、飲料水や農業用水として利用する等がある。しかし、これらの技術には高額な設備と動力のための大量のエネルギーが必要となる。産油国の一部金持国は別格であるが、もっとも大切なことはその地域や事情に合った技術を導入すべきということである。たとえば、降雨の少ないアフリカでは雨水の有効利用が非常に重要なことになっている。少ない雨をできるだけ多く集める工夫が昔から行なわれている。エネルギーのための電気も必要なく、身のまわりにある道具を使って簡単にだれでも作ることができる。もちろんこれだけでは砂漠化に対応できるわけではないが、どんな発展したすばらしい技術でもエネルギーを大量に使うのでは意味がない。エネルギーの大量消費の悪循環を絶つには可能な限りエネルギーを消費せず、その地域の事情に合った技術を可能な限り有効利用すべきである。その一つが雨水利用である。
都市の身勝手な水資源開発
 普通、雨水利用という言葉には2つの意味がある。貯留し、水道水の代替水源として利用する方法と、雨水を浸透させ地下水とし、都市型洪水防止の流出抑制、震災等の非常時水源、または親水として住民参加の環境教室(ビオトープ)、生物多様性の維持、回復を目的とした意味である。日本の年間平均降水量は1,800ミリと世界の年間降水量の約2倍もあるが、一人当たりの年間水資源は世界の5分の1にしかならない。中近東の砂漠の都市より少ない。なぜなら日本は1億2千万人もの人が狭い面積に生活しているからである。雨は本来大切な資源なのだが、行政の政策が先行し、山から都会に至るまで速やかに下水に放してきた。その反面、都市の人口増加にともない、水が不足すれば山村に巨大なダムをつくればよいと安易に考え、「都市に降る雨はそこそこに、水源地には多く雨が降ってほしい」という身勝手な考えに片寄っている。
ダム造りは都市に建設
 巨大ダムの建設は上流の森林を伐採して山を削り、環境を破壊し、生態系を狂わし、莫大な費用を投入したにもかかわらず、ひとたび大雨が降れば土砂で埋まり、ほとんどのダム貯水量は半減してしまっているのが現状である。これに対して一人ひとりが自前のダム(水源)として雨を貯めることから始めると、計算上では都市の一戸建住宅の年間貯留量はダムの貯留量を上回る。つまり無数のミニダムは巨大ダムに匹敵するのである。 水道水のコストというと、すぐにダム建設費に注目しそうだが、取水して浄水場まで送水する費用、浄水に関わる必要経費、各家庭まで配水する費用など膨大なエネルギーコストがかかり、実際にはダム建設費の8〜10倍を見込む必要がある。
 これに対して、都市のミニダムは短期間で設置でき、維持管理も容易でダムのように堆砂で貯水量が減ることもなく、送水コストやエネルギーコストもほとんどかからない。
 手間暇をかけ莫大な費用をかけて供給する上水道、飲める飲料水をトイレに流すなど、これこそ水資源の無駄遣いだと思う。体の中に入る水は上水道で、洗濯やトイレ、庭木の散水など生活用水は雨水で十分ではないだろうか。
都市の枯渇と洪水
 都市の下水道普及率が高まるにつれ、集中豪雨のたびに下水が逆流したり、中小河川が氾濫して全国で都市型洪水が発生している。町の道路以外にも、駐車場などでアスファルトやコンクリート化が進み、雨水は地下浸透しなくなった。また、下水道が整備されたおかげで、降った雨水は速やかに川から海へと放流する政策がとられた。そのため、都市はヒートアイランド(熱の島)と呼ばれるようになってしまった。
 コンクリート化した都市は人の健康にも、生態系にも悪影響を与えている。熱帯夜は増加の一途、蓄熱装置となって夜間に放熱するためである。雨水が地下に浸透せず、地下水は洞れ、地表の乾燥が進行し、都市砂漠と呼ばれるようになった。また、工場やビルなどが水循環を無視し、過剰に深井戸から地下水を汲み上げた結果、地盤沈下を誘引し、土地の大部分は川よりも低い、海抜ゼロメートル地帯と化した。その後、全国的に地下水の汲み上げ規制を実施したところ、以前のような進行状態が止まったのである。都市型洪水対策は下水道が降雨を排除しきれないなら河川を改修するか、都市の地下に巨大な貯留槽を建設し、そこに一時雨を貯め、後に河川に放流することに着手してきた。毎年莫大な費用をっぎ込んだが、都市型洪水は一向に治まる気配はない。
 逆に、こうした費用を個人の雨水、貯留タンクや水の浸透装置に助成をしたらどうであろう。降った雨水を貯留したり、下水桝で浸透化させることによって、多様にわたり環境改善効果が得られるはずである。建物の敷地や道路から雨水が下水道に排出されることもなく、都市型洪水は止まると同時に、河川や海の環境保全ができると思われる。このように積極的に雨水を地下浸透することによって、地下水が豊かになり、河川の水量は保てるはずである。
望ましい水資源への取り組み
 自然と都市の水循環が調和した水資源の形成に向け、構造自体をどう変換させていくかを重視し、もっとも効率的かつ効果的に政策の組み合わせをする必要がある。雨水利用の推進は、まずは自治体が率先導入として公共施設に雨水利用施設の建設を図り、NGOと連帯で雨水利用の啓発を行なう。そのうえで民間施設導入助成の促進をし、水資源にかかわる横断的課題を一元的にとって、都市と一体化した体系を構築する。
 都市の水資源を効率的に集大成し、それを最大限に活用し、内外の英知を結集させることによって、さらなる導入動機づけとして広く一般市民や企業の意識改革で雨水利用計画を策定することがまた重要な課題といえよう。(臼井章二)
水循環を意識するきっかけとして
 雨水の利用は、あらためて振り返ってみれば水利用の王道である。河川や湖沼から水を得て農業が成立し、地下水の確保で工業化が進んだわけだが、これらの恵みはほとんどが雨水であることからみれば自明の理である。
 地球上にあるわずか3%の真水は、われわれ人類にとってかけがえのないものであり、これらの循環によって幾多の生命が育まれていることはあらためて言うまでもないことだが、最近ではこれらが汚染され、地形や土壌、生物によって作られていた循環のバランスが妨げられるようになってきた。
 発電や用水のために強度に取水し、年中川床を現している有名河川がわが国で随所に見られるが、このような河川本来の働きを損なわせるごとき川水の利用や、地下水などにあっては、比較的地表近くにある伏流水などが地表上の削除や撹乱によって脈絡が断たれて湧水やせせらぎが消失したり、局所的には深層の水脈までもが際限なく汲み出され、からになり地盤の沈下を引き起こすことになったりしている。
 そこで再登場したのが雨水利用。貯留し沈清浄化して飲料にまでする技術はとうにあるし、寒冷高所では融雪水で健康に生活しているから「蒸発気化し、再び地表に降り注いだ“雨水”ほど清らかな水はない」(臼井章二氏)との言もあながち過言ではないと考える。ただ、水の貴さからいえばそれより岩間より湊み出るその大地のミネラルあふれる清水がいちばんで、問題はそれを枯渇させたり汚染する環境を作り出す人問の無頓着さであろう。
 雨水利用の普及はこうしたアンバランスを埋めるひとつの必然といえる。しかしそれが水環境問題での第一義ではないし、都市でのみの問題でもないと考える。とくに私生活という視点からすれば各戸で雨水を溜め利用することは川上や川下の差なく機会が得られるし、その内容も多様であっていい。そうした自由な発想で雨水利用が進み、大きな地球規模での水循環を意識する動機づけになることを期待したい。(水野一男)